私にとってはピアノもダイビングも芸術なんです。

P1030850私の母がいつも弾いていた曲です。母の逝ってしまった今は、私はこれを聞いて母を忍んでいます。 綺麗な母でした。父は母と会う口実を作るため、国立の声楽科に入り、バリトンリート歌手になりました。
家は貧しく、だのに大きなピアノと多くの楽譜そして、音楽家の写真が飾ってありました。でも私の肺炎を治すお金がなくピアノを1時売ってしまいました。シュタインウェイだったと思います。そして次にヤマハを買ったと思います。http://youtu.be/jK-Mu1PV6uU?list=RDbf5m9A8FIbQ を聞いてみて。

 

 

 

海に行かなかったので、アレルギー性鼻炎がひどくて、ショパンの話を。

20100413-chopinショパンを初めとして、天才作曲家の多くは長生きしていません。シューベルト31歳、モーツァルト35歳、 メンデルスゾーン38歳、シューマン46歳等々。 ショパンは生来病弱な体質で、17歳の時に2つ年下の最愛の妹エミリアを結核で亡くしてから、自分の 恵まれない健康を意識し始め、将来に対し漠然とした絶望感を持つようになりました。 彼の人生そのものが不幸を絵に描いたような生涯であったことは誰もが知るところです。 初恋の人、グラドコフスカへの実らなかった片想い、生涯で彼が最も愛した女性と思われるマリア・ヴォジンスカ との間で交わされた婚約の破棄、自由奔放な男装の女流作家ジョルジュ・サンドとの謎に満ちたスキャンダラスな 恋、破局、等々、彼は長期的で安定した幸せを手に入れることの出来ない運命にあったと言えます。 しかし、そのような不幸な人生であったからこそ、これだけインスピレーションに富んだ作品を残せた という見方もできます。彼が幸せに彩られたバラ色の人生を歩んだとしたら、これだけ美しく涙の味のする 素晴らしい作品が残せたでしょうか。天才作曲家は、後の世に珠玉の名曲の数々を生み出すことを命に受け、 己の人生の幸せを犠牲にするという運命を背負ってこの世に生まれ出るのだ、と考えると、 ショパンが残してくれた数々の名曲が万人に愛されていることこそが、彼の生きた証であり、ひいては 彼の本当の幸せだったのではないか、とも思えてくるのです。http://www.youtube.com/attribution_link…

彫刻のようだ。新年はうつくしい。

苦しい時、人間は輝くような気がします。悲しみに暮れる時、私は、強くなったような気がします。誰かに謝ったとき、私は、救われたような気がします。有り難うと言った時、私は幸せをもらったような気がします。素直になったとき私は愛されているような気がします。2015,1 3 今年もまっすぐ生きましょう。

Miyakojima Diving Shop Anemone Fish Club http://diving-anemone.com/P1060881

A HAPPY NEW YEAR TO ALL THE PEOPLE .

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。127